2011年5月30日月曜日

東京大学助教國枝武和氏――クマムシに魅せられて、「地上最強」の謎に迫る

 放射線を浴びても、無酸素状態の宇宙空間に出されても圧力をかけられても大丈夫――。「地上最強」の称号で語られるのは大きさ1ミリメートルにも満たないクマムシだ。周囲の環境の変化を察知すると乾燥して丸まり、生き物なのに死なないモノになる。東京大学助教の國枝武和(40)は、常識外れのクマムシを通じて生命の謎に迫る。
 干からびた丸い粒に水を垂らすと、水を吸って膨らむ。体の輪郭が現れ、足がぴくっとする。まるで長い眠りの後のような伸びをした後、クマっぽくのっそのっそと動き出す。どこかコミカルだが、乾燥したモノが生き物に戻る瞬間だ。初めて見た時はあまりの衝撃に、國枝は「残りの研究者人生はこれに賭ける」と決意した。
 普段は水の近くで暮らす微生物で、乾燥などで環境が過酷になるとあえて干からびてモノになってやり過ごすクマムシ。生命活動は止まるが仮死状態でもなく、かといって生きているわけでも死んでいるわけでもない。
 モノだから、酸素も要らないし凍結させても大丈夫。宇宙空間に出されても平気で、9年間モノだったクマムシもいる。地球上の乾燥を生き抜くためにしては明らかにオーバースペックだが、これが究極の「乾燥耐性」だ。人間には到底できない芸当に國枝は毎回「耐えてくれてエライ」と心の中で応援してしまうという。
 出合いは偶然だった。ポスドクとして30代に入り、デートでたまたま立ち寄った書店。当時は彼女だった今の妻がなんとなく早川いくを氏の「へんないきもの」という本を手にとった。「あ、クマムシ、これおもしろいよね」。熱い語りに促されてのぞき込むと、宮崎駿監督の映画「風の谷のナウシカ」の王蟲(おうむ)のような見た目の生き物がいた。かっこいい。最初は強烈な外観にひかれた。
 でも、その後も何かがひっかかった。強いとはどういうことなのか。気になって調べて知ったのが乾燥耐性だ。体の生命活動が止まるのだ。
 もしも生き物の体をほんの一瞬、止めて中をじっくり観察することができたら――。体内のすべての物質の位置を調べ、反応をシミュレーションできる。生き物の体の中で何が起きているのか、なぜモノの集まりが生き物になるのかが分かるはず。國枝の学生時代からの妄想をかなえてくれる生き物がいたとは。
 「クマムシをやります」。研究者が自分の生涯テーマを決める年齢的にギリギリのタイミングでの唐突な宣言だったが、研究室の教授も若手の自発的な提案に「おもしろい、ぜひやったらいい」と後押しした。
 とはいえ、手元にクマムシはいない。まずは実物の捕獲だ。「クマムシはどこにでもいる」。本を信じ、自宅のそばや大学構内の三四郎池とあちこちのコケを採って顕微鏡で観察する。でもいるのはほかの動物ばかり。
 結局、1匹目が見つかるまで1カ月。いかにも生き物がいなさそうなところを当たるのがミソだった。「ほかの生き物がいるところでは生存競争に負けてしまう」。モノでない時は意外と弱いらしい。
 ようやくクマムシの扱いに慣れ、研究成果を発表するようになると、意外に隠れファンが多いことを知る。「実は研究したかった」と異分野の研究者が応援してくれた。國枝が最初に出合ったかっこいいクマムシ以外にかわいいタイプがおり、「モデル生物のミツバチやカエル、ハエと比べればかわいさは断トツ」。強いのにかわいい、見た目でも研究者を魅了するクマムシのおかげで、今は共同研究も増えてきたという。=敬称略
(鴻知佳子)
主な業績
乾燥耐性を解明
放射線防護に道
 クマムシの乾燥耐性は200年ほど前から知られていた。だが、小さくて飼いにくいことからしくみの解明は進まず、外見の多彩さの報告という分類学的な研究がほとんど。「ネグレクテッド・アニマル」(無視されてきた生き物)の1つとも言われる。
 乾燥耐性は細胞を守るトレハロースの蓄積によるというのが長年の定説だったが、國枝らの研究によってトレハロースの関与は少ないことが分かってきた。強さの源は、細胞自体が丈夫なだけではなく傷を治す修復のしくみがあるからとみている。
 クマムシのゲノム解読にも取り組んでおり、得られる知見は細胞の凍結乾燥保存や放射線防護などに役立つ。
 くにえだ・たけかず 1971年、東京都出身。93年東大薬学部卒。98年東大大学院薬学系研究科博士課程修了。スイス・バーゼル大学博士後研究員、東大・産学官連携研究員を経て07年から現職。

オリエンタル酵母工業――新薬開発支援の百貨店

 オリエンタル酵母工業(東京・板橋)が新薬開発支援サービスの拡充を急いでいる。製薬各社は新薬開発にかかる時間やコスト増に頭を悩ませており、安全性の評価や臨床試験(治験)などを外部委託する動きが強まっている。オリエンタル酵母は新しい試薬や検査受託など製品・サービスの幅を広げ、前臨床分野での新薬開発支援の“百貨店”を目指している。
 がんを移植したマウスにオリエンタル酵母の試薬を投与し、蛍光用画像診断装置に入れる。装置上部に付いた超高感度カメラを通して観察すると、がんの部分だけ黄色く光って見える。
 この試薬は通常の酸素濃度の環境では分解されるが、低酸素の環境では安定する特性がある。蛍光色素が標識となり、分解されずに残った部分が光って見える仕組みだ。
 がんや心筋梗塞にかかった部位は血液が足りなくなり低酸素状態になる。試薬で光った部分はこうした病気にかかっていると診断できる。
 研究者が病気の原因を調べる際は実験用動物を1週目、2週目と経過期間ごとに解剖して観察するケースが多い。オリエンタル酵母の試薬を使えば「動物を生かしながら体の中が見られるため、解剖せずに経過を調べられる」(バイオ事業を率いる新井秀夫取締役)と話す。
 こうした試薬なら、実験動物の使用をなるべく減らしたいと考える製薬会社や研究者の意向にも合致する。
 同社はパン用のイーストの製造が本業。菌の培養技術を応用して、酵母エキスの製造など医薬品開発を支援する事業を1950年代に始めた。主に実験用動物向けの飼料や微生物を培養する培地に使う。その後、遺伝子解析や薬効・安全性の試験受託などに事業領域を広げてきた。
 新薬開発は一般的に15年ほどかかるとされるが、半分程度は候補物質の絞り込みや動物を使った前臨床試験が占める。新井取締役は「前臨床までの開発で総合的に相談できる会社は他にはほとんどない」と胸を張る。
 検査の受託サービスでは、実験にすぐ使えるようにあらかじめがん細胞を移植した動物の製作のほか、同社社員のサポートが受けられるレンタルラボ事業などにも力を入れる。
 様々な細胞に育つ新型万能細胞(iPS細胞)の増殖に使う培地や分化の際に必要な酵素の開発など先端的な研究への対応も欠かさない。
 製品やサービスの品ぞろえはかなり幅広くなったが、「まだ隙間はある」(新井取締役)。事業領域を広げることで「ワンストップサービスにより近づける」(同)取り組みを強化する考え。
 同社の2011年3月期の連結売上高は640億円。バイオ事業は約4分の1を占める。国内では大学の研究費が頭打ちとなり、製薬会社も研究費を治験に重点的に配分している。
 「前臨床分野で国内市場が大きくなることは考えられない」(新井取締役)とみており、国内市場の落ち込みを補うため、経済成長が続くBRICs市場に試薬の原料を供給するなど海外開拓にも力を入れ始めた。
《オリエンタル酵母工業の概要》      
▽所在地      東京都板橋区小豆沢3の6の10
▽設  立      1929年6月
▽資本金      26億1700万円
▽社  員      635人(単独)
▽事業内容      酵母・食品・飼料・生化学製品の製造販売、受託試験業務